音楽についての考え

昨年のトリエンナーレで鑑賞者の作品を募集する作品がありその一環で、自身の音楽についての考えをまとめてみたのでここに転記してみる

 

 
音楽は「誤作動」を受け入れる
 
音楽には通常、作られる時に期待される役割がある
社交場の空気を和らげるための音楽、療法としての音楽、
車で気分を盛り上げるための、ダンスをするための、アラーム等
 
音はそうではない時がある
タイプライターを叩く音、洗濯機が回る音、
線路、くしゃみ等
 
聴覚を通して知覚される、
目で見る標識になるには足りないし匂いを嗅ぐことや触れ合うよりは本能より遠い、
これらの音楽・音は
期待された役割を放棄する、または役割のない音に意味をつけることが可能だ
そうすることで聴く人は突然野に放たれる様なフレッシュさに包まれる
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《黄金町での振る舞い》では背景も順序も取り留めもない映像やテキストが音楽と共に流れている。
映像と音楽が合ってないのではないかと思う瞬間もある。
その「誤作動」が作品全体を通して刺激や戸惑いを与えながら創作意欲を掻き立ててゆく
 
工場では廃棄されるもの「誤作動」
長い目で見れば「誤作動」による気つけ、呼び戻しは豊かに生きるベクトルに作用するように思う。
その時、音楽が潤滑油のようになれたら

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